・朝起きると、デカキンだけでなく、転覆病になっていた赤い金魚も亡くなっていた。さくたろうが「ソラちゃん」といちばんかわいがっている金魚は生きている。2匹を埋めて、花を添えた。デカキンはさすがに、我が家で大きくなったのもあるし、質量もあって、目があってしまって、土に埋めるのはためらわれた。しばらくは、毎日花を置く。
・水槽を洗って、芝刈りをした。適当に(実験的に)撒いた西洋芝のエリアも、成長して広がっているみたい。庭に関しては情報収集も楽しいけど「実際にざっとやってみる」ことでわかることのほうが多い。
・にこは何日かぶりに朝いるのをうれしそうにしていた。園で、誰々はダンゴムシはさわれないけど、誰々ちゃんはチョンてするだけ、にこは触れるのだと教えてくれた。3歳児同士で、そんな会話をしていることを想像してあたたかい気持ちになる。
・約1週間ぶりに、ふたりを園におくってから八幡へ。物件撮影の仕事。もともと豆腐屋さんだった建物。2階が明るくて、窓から木々が見えていい家だった。
・約2時間で終了。帰りにどこか昼ご飯に寄ろう〜と横目にいろんなお店をみながら、金川農協で500円の弁当を買った。
・収支のことを考える。一旦いま出すべき請求書の類は、出すようにする。
・トミカの神経衰弱カード遊びを、さくたろうとニコの二人だけであそぶことができるようになっていた
・はじめて、ニコがたったままシャワーで頭を洗うことができた
・坂口恭平「継続するコツ」をもうすぐ読み終える。おもむろに毎日日記を書き出したのはこの本によるところが大きい。外からの評価や出来の良し悪しを気にせず、継続することそのものもが幸福ではないか。なにしろ外部からの評価は時代性やそのときの流行、気分によって大いに左右される。それらは一時的なものであって、ものを作ることの喜びとは実は関係がない。また人から依頼されてものをつくることは、それらとは別物である、といったことが書いてある
・書きたいときに、書きたいことを書いておかないと、すぐにその気持ちは次の日に消えてしまう。書くことを仕事にしていると、人の役にたとうとか、こう書くと誰か嫌な思いをするかもしれないとか、理性が働いてしまう。一方で、本当に書きたいことは何だっけと、長い間思い出せなくなってしまった。たまに思い出すのだけれど、それを書き始めたときには何か別の締切があって、途中まで書いては「いまこれを書いている場合じゃない」と、どこかに置き忘れたままになっている。ほんとうはその、置き忘れたものを書くべきではないかといった思いがある。
・何かを書きたくなるのは、いい文章を読んだとき。または、誰かが悩んでいて、その悩みが、まさに自分も向き合ってきたことだと心から思ったとき。この2つ。