アーツトンネルのアーティストトーク「トンネルに火を灯す」に出演しました。ホストの高木さんは逆にこちらが話をききたいぐらいの方で、2人きりでも嬉しいひとときを場としてもインスタライブとしてもひらかれたものにする、1時間。
当日は大雨。スマホの警報がけたたましく鳴り響くなか、穏やかにトークはスタート。半分くらは田川に至るまでの経緯。前半は忍びないくらい自分のことを話した。
質問をしてくれて、頭を動かして答える。普段は人に質問を投げかける立場なので、逆になり「こんな気持ちなのか」と再発見。他にはない楽しさがある。質問は愛。ただ、答えながら「ほんとに思っていること」なのか「もっと何かありそう」と思うのか、即座にベストアンサーがでないこともわかった。
「面白いとおもうことって、どんなものですか?」
この問いに対して、たしか「取材対象としてよく選ぶのはこういう人、お店」とのこたえたけれど、なんだかもっとあるなぁ、と思っていた。翌朝、答えがでた。
「ここにしかないもの、への憧れと肯定」
なにかをつくる仕事をしていると、模倣からは逃れられない。イミテーション、サンプリング、オマージュ。ものはいいようだけど、この世界に「完全なオリジナルの制作物」は存在しない。
それは希望でもあるし、ただある程度効率的につくって、お金をいただくような仕事をしていると、どうしても、どこかで見た何かから影響を受け、ときにデスクの脇におきながら、その模倣がバレないか冷や汗をかきながら、手を動かしていることがある。
参照元のバレなさ、距離の遠さはクリエイターにとっては生命線ともいえる。タイラー・ザ・クリエイターがインタビューで「インスピレーションはどこから?って質問がいちばんクソだ」といっていた理由はここにあるかわからないけれど。
たとえば雑誌のアートディレクターが、自分がつくったもの以外の雑誌をインスタにあげる、なんてことはあまりしない。レコードのジャケットをあげたり、道端で見つけた石をあげたりする。別に隠すでもなく「いかに遠いところにサンプリングソースを発見するか」を本能的に行っている。
自分の場合は、物理的距離のある海外、または時間的距離のある歴史ではなく、距離も時間も近い、いま生きている身の回りに潜んでいる・まだ多くの人が気づいていないものごとが好きなだけなのだ、と今朝思い至りました。
気を抜けば模倣に走ってしまうからこそ、まだ誰もきいたことがない話に出会うのが好きだ。ツイッターでバズったものを翌朝会社のみんなが知っているみたいな、つまらない世界のなかで。