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2025/05/27 日記

・4:30ごろふたりとも目がさめた。すぐに着替えて、ことみさんは豚汁をもたせてくれた。BOOKから支給してもらった新しいiPhoneの背面が白だったこともあって、3分くらい探し回った。

・コーヒーを淹れている間に、Xを流し読み。なんだか急激に荒れてきている気がする。インスタではみんな森道に行ってて羨ましいけれど、相方のともくんも今回は設営で参加しているので、話をきくのが楽しみ。

・パレット2階の新しい事務所では、廊下の窓越しに朝日が差し込むことがわかった。久しぶりに朝日をみることができてうれしい。

・合間に、金魚が白点病にかかっているみたいなのでAmazonでヒーターと薬剤(メチレンブルー)を買った。さくたろうが金魚すくいで2年前にすくった金魚。やたらと大きくなって元気いっぱいだったので、あからさまに元気がなくて心配。

・ウマミアソシエの原稿を書きながら、修行をされた宮崎県の指物工房のホームページをみていると、読み物がたくさんあって、どれもあたたかみに満ちていて読み込んでしまった。温度のある、個人的にいちばんなインターネットの感じ。

http://www.eurus.dti.ne.jp/k-yazawa/mamechishiki.html

トップページに、以前「直方市下境」特集のときに取材させていただいたKENくんのお母さん(切り絵イラストで大人気)ことなみそさんのXアカウントリンクが貼ってあり、どういうことだろうと調べたら矢澤金太郎さんの娘さんだった。KENくんはそのお孫さんだったということか!と静かに興奮した。駆け出しの木工作家時代の貧しかった頃のエピソードもあるが、そのような環境でなみそさんが育ったのか。文才やクリエイティビティが遺伝してる。おじいちゃんが家具職人って、いいよな〜

・全く知らなかったジョージナカシマの人生とつくりあげたものを知って、衝撃を受けている。フランク・ロイド・ライトの建設現場の職人たちの技術の低さに衝撃を受けて、建築からウッドワーカーになった人。

・ONE PIECEをジャンプで読んでる人、単行本で読んでる人、アニメで観てる人の3者で話し合った

・みぞれ煮?というのか、出汁に大根おろしを入れて絡める調理法がとてつもなく好きだ。全部あれで美味しくなる。と、昨晩ことみさんが作ってくれていた茄子のみぞれ煮を昼に食べながら思う。

・個人事業主としては大きめの編集仕事がGOサインがでて、嬉しく有り難いが今年の計画を建て直さないといけない。それでもって今月と再来月の目の前の現金があまりにも無い。どうにかしないと。

・「朝早くいくのに、夜いつもどおりの時間に帰ってくるやん!もっと5時とかに帰ってきてほしい」さくたろうがストレートに不満を漏らした。時間間隔が正確になってきている。

・久しぶりにトミカの神経衰弱で勝負したら、全く手加減していないのに圧倒的にさくたろうが強かった。ついに「ガチでやっても息子に負ける」分野が爆誕。

2025/05/26 日記

・さくたろうとニコの寝相により熟睡できず、スッキリとはしないけど5時ごろに起床。以前話していた通り、すぐに着替えて事務所へ向かう。ことみさんも早起きして「こどもたちに、朝パパいないよって昨日言っておけばよかったね」と言い合う。寝起きが不機嫌なので、荒れないか心配しつつ、家を出る。

・やはりというかなんというか、早朝の原稿のはかどり具合は5倍くらい。いちど完成した原稿のもう1案をざっと書き終えた。見比べたけど、元の案が良い気がする。

・notebookLMを試すと、音声データから精度の高い要約を出力してくれて、しかも言葉尻も書き起こしたメモもあり、優秀さに感動した。

・AIはめちゃくちゃすごいけど、本当は別に意味とかなくフラットな世界に勝手に意味を見出して、強弱をつけるみたいなところって人間らしくて、そういった部分が際立ってくるのは良いことかもしれない

・山の原稿を書き終えた。今月はあと3本。

・事務所につばささんがきて、大人になって喘息が再発することのつらさと、youtube生配信中にすぐ後ろで落雷がおきた話をした

・ジャンクだと思って引き取ったスピーカーが、通電してラジオが鳴った

・チクスキWEBの解約が1件。少し落ち込むが、気にしないようにする。

・帰宅すると、子どもたちが少しバチバチしてた。さくたろうがおもちゃのラッパを吹いていて、にこも一緒に吹きたいが、さくたろうは自分の思うように演奏したいからにこちゃんは吹くなと。少しフラストレーションが溜まっているようだった。

・さくたろうと風呂に入ると、保育園の縄跳びどれだけ長くとべるか競争で、いちばんになったことを教えてくれた。いままではクイズ出して、だったけど、本人からその日あった嬉しかったことを教えてくれたのは初めてかもしれない。

・にこは、ひらがなをすこしずつ覚え始めた。「に」「こ」、さくたろう、さんちゃんの「さ」ことみの「こ」、けんたの「け」まりちゃんの「ま」。ひでとの「ひ」。

2025/05/24 日記

・雨の音で4:50に目がさめる。庭に出しっぱなしのアテナータが不安になり、屋根のあるところに移動させる。今日は大雨なのか。

・原稿を書く前にフォルダを整理していて、前に保存していたくどうれいんさんが高校生に宛てた講演の文面pdfを見つけて読み込んでしまった。書くことのすばらしさ、書いて生きていくこととは何かがわかりやすく誠実に語られている。名文。職業作家になるには、会社員をやりながら書き続けられる体力がある人であったほうがよい、など。

・ことみさんが「朝にひとりで3人をみるのを試してみようか」と提案してくれた。実現できると1日2-3時間は生み出せそうなのでものすごく有り難い。革命的にありがたい。

・今月の担当は5本。今日は最低2本は書き上げたい。締め切りが迫っているため、事務所へ行かせてもらう。

・LINEの文字起こしアプリ AiNoteが1時間以上の音声データをアップロードできなくなっていて困惑。他のツールも検討したけど、Macのボイスメモで録音データのトリムがささっとできることに気づいて、しばらくはこれで運用することに。

・コーヒーをいれた水筒を家に忘れたのでお昼ごろとりにいくと、3人でつくったドーナッツを楽しそうに食べている、妻と子どもたちがいた。それは雨の日の休日の幸せな光景で、思わずカメラをとりだして、何枚かシャッターを切った。

・今回の取材で、いっそう山に惹かれつつある(毎日登りたいと思い始めている)が、同時に「全然その良さがわからない気持ち」をどこかにとっておけないかと考えている。あくまで外側の印象だけど「自分は良さがわからないものを、複数人がまとまって良いなどといっている」状態は、本能的に寂しさを感じてしまう。バイクやゴルフ、麻雀とか。やる人同士は仲良くなって、そうでない人は蚊帳の外。タバコにも似ている。そう思うと、登山って別にそんなことないのか。釣りも。ひとりでも出来ることだから。

・魚焼きグリルに1日入れたままになっていたホッケが問題なく美味しかった。

伊田特集 編集後記

近場なのに、距離がある。未知でもある。

それが自分にとっての「伊田の飲み屋街」だった。田川で飲む、となればだいたい「伊田のどこかで」となるのだけど、言わずもがなコロナ禍と3人の子どもたちとの生活で、夜の時間はほぼ身動きがとれなくなっていた。

夜とは無縁の生活をおくるなかで、ふと知人が遠方から訪ねてきてくれたとき「伊田で飲もう」となった。そうなると急激に「何もしらない」ことが情けなく「どのツラ下げて地域情報誌の編集者をやっとるんじゃ」と心のなかで泣いた。

そんなこんなで毎度のことながら公私混同の動機で取り組んだ伊田特集 後編。まずアポイントをとらねば⋯と調べてみるものの、スナックはインターネットでほとんど情報は出てこない。(営業してるかどうかもわからない)

心細さを感じつつも、1軒目に訪れたのはBar樹。バーテンダーの工藤さんと出会ってはじめて「伊田の夜に居場所ができた」と思えた。とにもかくにも優しく、考えうる限りの理想のバーテンダーを具現化したような人だった。その工藤さんに、あそこのスナックはだいたい何時頃にあく、と基礎情報を教えてもらい、意を決して飛び込んでいく。

「ごめんね〜今日はママ、いなくて」

「あ、まだママきてないのよ。22時くらいには来るかな?」

とママにたどり着くまでは骨が折れた。けれど、いちど話せると、みなさんこれまたとてつもなく優しく愉快で、情報としても「ここに来ないとわからないことがものすごくたくさんある」ことにも気づいた。

スナックプリンのみゆきママ

南太平洋の中村ママ

lounge YANYANの八城マスター

この期間中に励まされたのが、川内有緒さんの『空をゆく巨人』プロローグにあった一節。川内さんも取材を申し込むなかで、一瞬断られたりしながら食い下がって、話をきかせてもらい、一気に世界が広がっていく過程が綴られていた。

「一歩を踏み出したら、それが冒険なんでねえの?」

『空をゆく巨人』の主人公のひとりである、志賀さんの一言に川内さんと同じように胸を撃ち抜かれた。物理的には家から車で15分とかの近いところを取材してまわっているけれど、これは自分にとって、冒険である。子どもたち3人の世話を妻(と家族)に頼み、夜の時間をもらい、訪れたことのないお店の扉を開くこと(スナックの扉は、特に重い)。SNSやインターネット、AIが届かない未開の地。自分の足で訪れないと、アクセスできない。ご近所大冒険。

そうおもうと、エンジンを切った暗く寒い車内で(これは古めの車にのっている自分がわるいのだが)ママの出勤を待つ時間も、なんなく乗り越えられた。

かつてなく冒険だった伊田特集後編。ぜひお楽しみくださいませ〜。

(チクスキはいま諸事情で電子書籍がストップしているので、筑豊地域のどこかで手にとっていただくほか読める手段がありません。それもまた紙媒体の良さ!)

高畠拓生さんの、手作りスケジュール帳

地域で取材活動を続けていると、偉大な諸先輩方にお会いすることが多い。たびたび思い返すのは、旧山田市特集でインタビューをした登山家の高畠拓生さん。(取材時90歳)

71歳でネパールのカラパタール(標高5545m)に登頂したり、書や絵画を嗜んでいたり、発する言葉すべてが金言だった。後輩たちからもよく電話がかかってきて、取材中にさっと胸元の携帯ケースから取り出した自作のスケジュール帳が、真似してつくりたくなるようなプロダクトだった。

紙に線を引いてテープでつなぎあわせた簡単なつくりながら、1日1行で1年分の予定がざっと見渡せる。(D-BROSSの蛇腹手帳のよりコンパクト判みたいな形)。折りたたむと、胸元にあるスマホサイズほどのバッグに収まる。この携帯性と利便性に、登山家としての熟練がにじみでていた。

2025/01/23 日記

伊田特集の後編で「やきとり弁慶」さんの取材を終えて、次のスナック2件が21:00〜(ここ数年ではいちばん遅い時間)なので、その合間にジョイフルに駆け込み、たまってしまっている仕事をする合間の10分ほどで日記を書いてみている。

やきとり弁慶さん、取材依頼をするときはずいぶんと緊張したけれど、撮影も楽しんでくださり、本当に有難い時間だった。田川に暮らして5年ほど経つけれど、これまで訪れていなかったことが悔しい。知っていたら、田川外から来た友だちに、どうだー!と連れてこられたのに。知らなかったので、情けない気持ちで伊田のまちを漂った悔しさはいまだに忘れられない。というか、その情けなかった自分に向けて、この特集をつくっている。近くにある唯一のビジネスホテルAZのお客さんは今回の特集でとりあげる良いお店に辿り着いていて、AZが侮れないぞ、となった。出張で来る人は田川のいいお店を知っていて、暮らしている人が知らない(自分だけかもしれないけど…)。このドーナッツ化現象への抵抗に、特集が少しでもなってくれるといい。少なくとも自分自身が「田川ものすごくいいところ」と心底思えている。あまりに良いので、やきとり弁慶もスナックプリンも、別々のお店だけど向かい同士にあるお店が同じような現象(ここへ来るためだけに田川に来る人がいる)を起こしていた。

この2日ほど思うように制作が進められず、ずいぶん弱気になっていた。〆切前はどうしても気が立ってしまう。のだけど、やきとり弁慶を訪れて、また気持ちが復活してきた。先週のismでも同じように、力をもらった。食は偉大。どんなことがあっても、美味しいものを食べると人は前向きになれる。

ざっと書いてみているけれど、日記って難しいな。bollardの五十嵐さんがnoteで日記を書いていて、タイトルが全部起床時間になっていた。定点観測的なものをタイトルや冒頭にして、書くハードルをぐっと下げるのをとりいれたい。今考えているのは、毎年会社宛にもらっていたのを楽しみにしていた日めくりカレンダーに書いてある名言を載せるとか(他力本願)。今年は会社でもらえなかったので、ひとまわり小さいのを明屋書店で買って妻が「小さくない?」と不服そうだった。

己自身を統治しえぬ者は自由にあらず」(エピクテトス 55-135頃 ギリシャの哲学者)

やはり他力本願感がでますね〜

伊田特集と、近所への好奇心

日付変わって本日、チクスキ 279号「伊田特集前編」が発行されます。毎号、思い入れ深いローカルガイド特集ですが、今回はより感慨深い1冊です。リサーチで訪れて、載せることができていないお店も多々(後編もありますので引き続き動いています)。今回は、自分で写真も撮っています。

伊田特集では「写真も撮る」、そして暮らしている田川市内に焦点をあてることで、数多くの発見がありました。

bird coffee

フラワーショップ杉本

田蔵

スティーブンスピルバーガー

近所には、知らないことがまだまだある

学生時代から通算すると、地域のことを取材して、記事にする行為を15年ほど行なっています。「こんなに近くに、思ってもみない面白い人がいる/出来事がある」事実にずっと夢中になりつづけていて、その楽しさは変わりません。

今回の田川市伊田エリアは特に生活圏ということもあり、新しい出会いや発見が何倍にも嬉しかったです。(5年暮らしてても、ほんとに知らないことだらけ…)

この「近いところへの好奇心」はずっと変わらないテーマのようなもので、今続けている特集の軸でもあります。

高島で生きた亡き祖父の日記がほんのちょっと「海に眠るダイヤモンド」かもしれない。

年末年始は息子→娘→自分とインフルエンザリレーで埋め尽くされ、ほとんどの再会も絶たれてしまい、気持ち的にも参ってしまいました。実家に帰省できないのがここまで残念だった(つまり自分自身がとても楽しみにしている)ことがわかり、すがるように観たのが日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」。

めーっちゃ救われました。なんというか、キムタク!みたいな派手さはないので途中離脱した人も多いかもしれませんが、染み入るようなドラマでした。

これはもう極めて個人的な話ですが、2001年、9.11テロの前日か当日に亡くなった祖父は、端島の隣にいる高島で助役さん(副町長)のような仕事をしていて

最初は炭鉱夫だったけどたしか身体が弱くて坑内に入れなくなったので、役場職に携わっていったと思われます。そんな祖父(馬場五郎)は祖母(馬場澄子)のことをすごく想っていて、澄子さんも20年後に亡くなるまでずーっと五郎さんのことを慕っていた。

結婚する前、澄子さんが暮らしている寮に、ラブレターを紙飛行機にして投げ入れてた⋯なんてエピソードがあったりなので(いい時代や〜)

「海に眠るダイヤモンド」を観ているときは、ずっと祖父と祖母に思いを馳せていました。

鉄平と朝子みたいな2人は、きっとあの時代、あの島にいたのだろうと思いますぞ⋯!という具体のひとつとして

10年前に、やや鉄平みのある馬場五郎の日記を発見したときのブログを再掲します。

〜〜〜〜〜

おじいちゃんが亡くなって約10年、為石の家で遺品整理をしているなかで、ボロボロの日記が見つかった。

だいぶ古い日記だった。昭和29年。
文字も消えかかっていたけれど、一部だけ読むことができた。

「端島 軍艦島を訪ねて」
とある。

1949年。既にひとつの小さな小さな島に
4000人以上の人が暮らしていた。

「狭いのかと思っていたら、人々は案外楽しそうに、穏やかに暮らしている」
といったことが書いてあった。当時の人からしても軍艦島の光景はちょっと異様だったというか、興奮しているさまが伝わってくる。

この日記を書いたあと、おじいちゃんの一家(僕の父親含む)も、8ヶ月だけ軍艦島に暮らしていたらしい。

これは、まだ炭鉱で働いていた頃

奥さん、つまり僕のおばあちゃんと結婚したてのときの日記。
たぶん、おじいちゃんが20歳になったばかりくらいのときだ。

まさか孫に読まれるとは、って感じだろうけれど
まるで自分に宛てられた手紙を読んでるような気持ちになった。

『笑顔』

峠にさしかかる

寒風は 手足をこをらせる

眠い また嫌な重労働が待って居る

可愛い 吾が妻の顔が 目にうかぶ

新しい力が出た様に 階段をかけ下りる

重労働の苦しみも忘れ

生活の苦しみも忘れて

道をいそぐ 妻の笑顔を目にうかべつつ 

〜〜〜〜〜

祖父(および父)の一家は高島から対岸の為石、という土地に移り住むのですが、それは「浄水場」をつくるためだというのはうっすら聞いたことがあって。祖父が眠る、馬場家のお墓はその浄水場のすぐそばにあります。

それがドラマの2話目にでてくる、船で水を運んでたのが海底ケーブルで島に水を供給できるようになった…というエピソードではじめて意味がわかりました。

祖父がつくった浄水場は、端島や高島に水をおくるためのものだったようで、

そのくらい、島の人々にとって水が大切なものだったのだと。

気になって調べてみたら、その浄水場は数年前に役目を終えて「跡地をどうするか」みたいな議論がなされていました。時の流れ⋯

「海に眠るダイヤモンド」は良い作品で、さだまさしさんの長崎弁がドラマ長崎弁史上最高傑作なので長崎出身で地元を離れている人はマジで観てください。帰省するより長崎に帰った気持ちになるかもしれません。なんか香りとかで一瞬で思い出が蘇ったりするじゃないですか。さださんの長崎弁にはその力がある。さだまさしの長崎弁は物理を超えて全世界に長崎をお届けできる説。

編集をやればやるほど「自分の言葉」を見失う問題。

こういった個人のブログみたいなものは、更新が止まってしまうランキング10年連続1位なわけで、その理由というか、これは私の問題であるのか、時代的に多くの人が感じていることであるのか?が2つめの記事のテーマです。

書くのと同時に校正脳が働いてしまう

編集の仕事をしているなかで、書いてもらった文章をなおすのは速度が増してきた一方で、その能力が「自分で書く」ときに足枷になっています。

これはすでに対処法がいろいろと提唱されていて、具体的には自動筆記モードと校正モードを切り替えるやり方。なのですが、特に自分のことであったり取り組んでいる物事に対する書く行為は、もうひとつ錆びついてしまっている何かがあります。

書きたいけど、書けない。

単に「筋トレを続けていないから筋力がない」「運転を長年していないから、車に乗るのが怖い」と同じ問題のような気もしています。10年ほど、個人的な発信をほとんどできていなかったので、不特定多数の人に向けた言葉、文体が、全くわからなくなってしまいました。

真っ白なエディタを前に、何を言いたいのか、そもそも言いたいことなんて別にない、という気持ちにさえなってしまいます。

毎年、どこかしらに日記やメモのようなものを書き殴っているのですが、その8割くらいは、書いていても全然楽しくなくて続かない、という現象も地続きかもしれません。

仕事だと「目的」があるから、ギリギリ書ける‥‥ってことは

一方で、何かしら媒体で記事を書くときは、読む人であったり、媒体のキャラクターであったり、いくつかの寄るべき柱があります。

ということは、このように「不特定多数」に向けて書かれる言葉も、自分で何かしらの柱を立てて書くのが、今の文体迷子から抜け出す最善策かもしれません。

その柱というのは、自分自身のキャラクター(明らかに見失っている)であったり、不特定多数ではなく、特定の誰かに届ける気持ちで書く、ということでしょうか。出口がみえないまま書き出して、ちょっと朧げながら解決策が見えてくるというのが「書く」作業で得る超絶メリットですね。書いてよかった。

しばらくは、このようにリハビリテーション的な更新が続くと思います。とにかく続けていくことだけが目標。しばしお付き合いいただけますと幸いです。

編集事務所を立ち上げました。

はじめまして、福岡県田川市在住のエディター/ライターの馬場と申します。先月11月22日に開業いたしまして「WEBサイトはまぁ後からどうにか」と軽い気持ちで名刺にQRコードを載せていたのですが、予想外に早く届き、つい嬉しくなって配っていたらみなさんすぐに読み取ってくださり「ああすみません!まだサイトはちょっとできてなくて…」とおろおろする、という動きを1日で数回行いましたので、慌てて今この文字を打っています。

完璧にしてから公開するぞ!では一生世の中にだせないため、ひとまず公開してしまい、ちょっとずつブログや、過去のお仕事などを、アップしていく方針です。

インスタも育児のことばかりですが、編集事務所的なこともあげていけたらと思っておりますので、チェックいただけると幸いです〜

https://www.instagram.com/kenta_b