年末年始は息子→娘→自分とインフルエンザリレーで埋め尽くされ、ほとんどの再会も絶たれてしまい、気持ち的にも参ってしまいました。実家に帰省できないのがここまで残念だった(つまり自分自身がとても楽しみにしている)ことがわかり、すがるように観たのが日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」。
めーっちゃ救われました。なんというか、キムタク!みたいな派手さはないので途中離脱した人も多いかもしれませんが、染み入るようなドラマでした。
これはもう極めて個人的な話ですが、2001年、9.11テロの前日か当日に亡くなった祖父は、端島の隣にいる高島で助役さん(副町長)のような仕事をしていて
最初は炭鉱夫だったけどたしか身体が弱くて坑内に入れなくなったので、役場職に携わっていったと思われます。そんな祖父(馬場五郎)は祖母(馬場澄子)のことをすごく想っていて、澄子さんも20年後に亡くなるまでずーっと五郎さんのことを慕っていた。
結婚する前、澄子さんが暮らしている寮に、ラブレターを紙飛行機にして投げ入れてた⋯なんてエピソードがあったりなので(いい時代や〜)
「海に眠るダイヤモンド」を観ているときは、ずっと祖父と祖母に思いを馳せていました。
鉄平と朝子みたいな2人は、きっとあの時代、あの島にいたのだろうと思いますぞ⋯!という具体のひとつとして
10年前に、やや鉄平みのある馬場五郎の日記を発見したときのブログを再掲します。
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おじいちゃんが亡くなって約10年、為石の家で遺品整理をしているなかで、ボロボロの日記が見つかった。
だいぶ古い日記だった。昭和29年。
文字も消えかかっていたけれど、一部だけ読むことができた。

「端島 軍艦島を訪ねて」
とある。
1949年。既にひとつの小さな小さな島に
4000人以上の人が暮らしていた。
「狭いのかと思っていたら、人々は案外楽しそうに、穏やかに暮らしている」
といったことが書いてあった。当時の人からしても軍艦島の光景はちょっと異様だったというか、興奮しているさまが伝わってくる。
この日記を書いたあと、おじいちゃんの一家(僕の父親含む)も、8ヶ月だけ軍艦島に暮らしていたらしい。

これは、まだ炭鉱で働いていた頃
奥さん、つまり僕のおばあちゃんと結婚したてのときの日記。
たぶん、おじいちゃんが20歳になったばかりくらいのときだ。
まさか孫に読まれるとは、って感じだろうけれど
まるで自分に宛てられた手紙を読んでるような気持ちになった。
『笑顔』
峠にさしかかる
寒風は 手足をこをらせる
眠い また嫌な重労働が待って居る
可愛い 吾が妻の顔が 目にうかぶ
新しい力が出た様に 階段をかけ下りる
重労働の苦しみも忘れ
生活の苦しみも忘れて
道をいそぐ 妻の笑顔を目にうかべつつ
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祖父(および父)の一家は高島から対岸の為石、という土地に移り住むのですが、それは「浄水場」をつくるためだというのはうっすら聞いたことがあって。祖父が眠る、馬場家のお墓はその浄水場のすぐそばにあります。
それがドラマの2話目にでてくる、船で水を運んでたのが海底ケーブルで島に水を供給できるようになった…というエピソードではじめて意味がわかりました。
祖父がつくった浄水場は、端島や高島に水をおくるためのものだったようで、
そのくらい、島の人々にとって水が大切なものだったのだと。
気になって調べてみたら、その浄水場は数年前に役目を終えて「跡地をどうするか」みたいな議論がなされていました。時の流れ⋯

「海に眠るダイヤモンド」は良い作品で、さだまさしさんの長崎弁がドラマ長崎弁史上最高傑作なので長崎出身で地元を離れている人はマジで観てください。帰省するより長崎に帰った気持ちになるかもしれません。なんか香りとかで一瞬で思い出が蘇ったりするじゃないですか。さださんの長崎弁にはその力がある。さだまさしの長崎弁は物理を超えて全世界に長崎をお届けできる説。